ゾウの時間、私の時間

主に読書のメモになります。音声入力なので誤字脱字が多そう。

【読書メモ】GO WILD 野生の体を取り戻せを読んで

炭水化物をとると体の中で分解されてブドウ糖になる。

 

ここで知っておかなければならない事はブドウ糖は毒性があるのだ。

 

ただ、毒性といっても血液中に大量にあると毒と言うことだ。

 

これは血糖値から見てもわかることだと思う。炭水化物をたくさん食べる人は血糖値に気を配る必要があり、それが上がったり下がったりするのは、体がバランスを取ろうとしているからだ。インスリンというホルモンを駆使して血中のブドウ糖のバランスを保とうとする。血中に入ってきたブドウ糖膵臓を刺激して、インスリンを分泌させる。インスリンは血中からブドウ糖取り除く信号を全身に送る。

これはつまりブドウ糖という毒に対する体の反応だ。

 

血中からブドウ糖を取り除く方法は2つある。まずはブドウ糖を筋肉や臓器に送りブドウ糖がいくつも重なった重合体、グリコーゲンに変えること。もう一つの方法は、ブドウ糖を脂肪に変えることだ。

 

昔の人類と言うものは、炭水化物は様々な食物食物繊維に埋め込まれた形で摂取されてきた。その消化には時間があったので、ゆっくりと体にブドウ糖が供給された。しかし今の人類は、炭水化物の大半をブドウ糖として摂取している。

 

この結果メタボリック症候群と言う文明病が蔓延し、肥満、心臓病、高血圧、二型糖尿病、脳卒中、これらの病気に結びついている。

 

炭水化物の取りすぎは体に良くは無い。誰もが知っている事実であり、太り過ぎの人を見れば感覚的にもわかるはずだ。

 

付け加えて言うならば、砂糖などの甘いものそれは麻薬と同じような依存性があり、麻薬を摂取してるときと同じ脳の部位が発火する。

 

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コレステロールは脂肪と同じく施設の1種であり、身体の細胞は生きるためにそれを必要とする。

血液検査ではコレステロールそのもの測る方法がないので代わりにリポタンパク質を測る。私たちがコレステロール呼ぶものは、通常はリポタンパク質を指している。リポタンパク質は血液中のコレステロールを含む脂質とタンパク質を運ぶために作られるものだ。

 

リポタンパク質は低密度リポタンパク質と高密度リポタンパク質に分けられる。よく言われる悪玉コレステロールと善玉コレステロールのことである。それにトリグリセリドと呼ばれる中性脂肪を加えれば、テレビでお馴染みの言葉になる。

 

悪玉コレステロールは低密度リポタンパク質であり、これがよく注目されている。だが低密度リポタンパク質も2つに分けることができ、害になるのはその小さな方だけと考えられている。しかし医者はこの2つを区別せずに、とりあえずコレステロール値を下げる薬を服用するように指示をしている。

 

コレステロールに関しては間違った情報が積み重なっている。例えばコレステロールの多い食物を摂取するとコレステロールは上がると言われているが、実際には血中のコレステロール値に影響与えるのはほんのわずかである。

一方、炭水化物がトリグリセリド値、そして有害な低密度リポタンパク質と強く結びついている事はよくわかっており、この2つの値は心臓病と関連性が高い。

 

しかし脂肪とコレステロールへの誤った考え方は、新しい脂肪を作る原因となった。それがトランス脂肪酸である。フランス脂肪酸は自然界にはほとんど存在しない脂肪で、人間の体はそれらを処理するようには進化してない。

体に入り込んだ1つの分子たちはしばしば免疫反応引き起こしてそれにより炎症が起こる。この炎症は動脈硬化や心臓病の原因となると言われている。

バターよりも健康によいとして作られたマーガリンは、心臓病と関係があるのだ。

 

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なぜ私たちにのはあるのか?私たちが脳を持つ理由はただ1つ、状況に応じた複雑な動きをするためだ。だから脳の構造は体の動きと綿密に結びついており、動くことは脳を必要とする

 

運動が脳に良い影響もたらせる事はドンドンと光間となっている。例えば有酸素運動のプログラムを授業に加えた学校では学力の向上が見られた。

 

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瞑想をした被験者と瞑想しなかった被験者とでは、明らかに共感や思いやりや公平公正である事に違いが見られた。

 

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幼児は力とよりどころと勇気を求めて母親にしがみついているが、それらを得ると、母親から離れあちこち探検する。しかし何かに驚いたり怯えたりすると、安心を求めてまた母親のところに戻る。そして母親がその役割をきちんと果たせば、子供は再び探検に出る。この繰り返しをして子供は成長する。

 

これは幼児に限った話ではない。進化とは安心と力と母親の慈を通して私たちを形成してきた。信頼している人のもとに戻り休み成長する。幸せとはいつも安全で食べ物があり、心地よく過ごせることではない。むしろ両極端のバランスをとり軽やかに優雅に両極を行き来することが幸せだ。